2019/12/27
2019年を振り返って
皆様にとって、今年はどんな年でしたか?菅にとっては、今年は良い意味で特別な年になりました。
1月、お正月を休む間もなくUK選手権へと向け練習をして、
2月、友人ダンサーのヤーク&ティーナが来て、
3月、選手会パーティーにてラテン敢闘賞をいただき、そのショーをして、
同月、ピボットが閉店して菅・奥村のメインのレッスン場は十三のファンシーホールに移りました。
4月、ファンシーホールのオーナー、金澤先生とるり子先生の応援のもとで良い環境を整えてもらい、
5月にはブラックプールに行き、
6月はケイト先生の体調不良で日本インターを欠場するなど不調もありましたが、
ヤーク達を大阪に呼び大阪インターを盛り上げることに成功しました。
7月は仕事にとても忙しい月でしたが、次なる目標にむけてモチベーションを最大に上げられたときでもあり、
8月はあっという間の夏でした。
9月には8度目のフィンランドにて、今までの勉強の成果がつながったと実感できる月であり、
同月、全関西競技会では50名を超える歓声をいただきAクラス維持を勝ち取りました。
10月はこれまで得られたかけがえのないフィーリングから、大きな決断に踏み込んだときで、
11月には定まった方向性から渾身の作品を披露し、
12月にはついにイタリアと日本を繋げることに成功しました。
これは、イタリアのハイレベルなコーチを、プロだけにとどまらせず一般の僕の生徒さんたちにも直接レッスンを受けてもらうというもので、
ともすれば地理的、文化的条件から閉鎖的になりがちな日本の慣習に変化を与えることができた、大きな意義のあることだと思ってます。
もちろん、まだまだ草の根をかき分けるような小さな活動です。
昔の、村上春樹さんの比喩を用いるなら、
僕は常に壁ではなく、卵の側に立つ人間です。
壁は強大で押し迫ってくるものですが、
卵はとても壊れやすいものですが、
それでも僕は、そんな壊れやすいものを育てていきたい。
卵は将来、鳥となって大空を羽ばたくのですから。
僕の活動は社交ダンスに限られたものです。
もちろん、バレエやサルサ、コンテンポラリーなど勉強していますが、
それはすべて社交ダンスにつながるものとしてです。
それは世界の中で、ほとんどの人にとってとるに足らないものかもしれませんが、
それでも、この活動が身の回りのわずかな人の笑顔になってくれるので、
それがとても幸せなので、
僕は続けます。
ブログの更新をすっかりしていなくてすみません。
来年も僕は僕らしく、やっていきます。
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